ホテル 新宿の世界
ヒマラヤの登山が、かつての極地法といわれる長期苦行主義からアルパインスタイルの短期速攻主義に移行してきたことも、単に子不ルギーの節約としての登山術の進歩という説明だけでは足りないと思う。
心理的快感の増す方向へ、高山の登り方が変化したと判断しなくてはなるまい。
極地法に比べて、より個人的満足度の高い登り方が、アルパインスタイルとみなすことができるのではあるまいか。 極地法という集団主義よりは、アルパインスタイルという個人主義のほうが、より多く心理上の快感を得やすいと評価するべきであろう。
昨今は、中高年を中心にした、観光バスを繰り出しての、「おきまりの山へ、おきまりのルートから登り、寿司詰めの小屋へ泊まる」といった手軽で依存型の集団登山が、自然愛好家の眉をひそめさせる時代でもある。 こういう時期には、山を登る楽しみの質を、もう一度H点から考えなおしてみることも必要ではないか。
金権腐敗したいまの日本人が落ち込んでいる精神の荒廃と幼稚化は、自然のなかを歩くことによって、いくらかなりとも癒すことができるはずだが、そのためには条件がいる。 まずは、意志をかためて、一人で山へ向かうことだ。
孤独と寂寥を味わって初めて、そこに山へ登る喜びも生まれる。 よき苦痛からよき快感が生まれるという法則に従って、そうなる。
詩人の萩H朔太郎は、そのすぐれたエッセーのなかに好んでニーチェの短文を引用した。 そのひとつ。
この言葉は、一人で、あるいは許し合った少人数で山へ向かう気持ちのH点であろう。 脚の筋肉を動かしつづけることによって得られる快い気分も、孤独と寂寥があって初めて生まれやすいと私は判断するのだが、いかがなものか。
孤独を楽しむ。 これが快楽登山の精髄であろう。
山はもう少しすなおに登ったほうがよい。 大切なのは。
面白さ”のほうであって、大義名分ではない。 山登りは面白いからやる。
それでいいだろう。 面白いとは、いきいきした感情を得られるということの別名なのだ。
そうでない山登りは、すべてくだらない。 面白い山登りをやるための第一条件は”自分本位”になることだろう。
〃他人本位”の山登りではちっとも面白くないということは、まだ社会通念になっていない。 日本人が、山に限らず一般に物事を楽しむ能力に欠けているのは、他人本位だからである。
封建時代の遺風が残っているお国柄といってよい。 この遺風を打ち破らなければ、面白い登山はできない。
一方、他人本位の人間というのは、自分の考えをもっていない 他人本位の人間は、山登りを楽しむ自己能力にとぼしいから、とかく売名のための登山や山の政治などをやりたがる。 この場合の政治は代償行為のことだから、人民のためになる本当の意味での次元の高い政治ではない。
一種の、無H則人間という意味での政治的人間である。 日本は、いままでは政治家不在の国だった。
登山界は、その最も典型的な例でもある。 自分本位の山登りをやるためには、まず他人本位の人間を自分の周囲から排除しなければならない。
少なくとも、他人本位の人間たちの犠牲にならないよう細心の注意が必要で、これには相当の経験と知識と勇気がいる。 青春の山は、おおむねとるにたりない。
私は二十代の山をいっている。 この時代には自分がよく分からない。
子供の頃の健全な好奇心はこの時代に失われ、混乱がくる。 自己意識が過剰になって、衝動主義に陥るから、客観的な行動ができにくい。
主観的で受け身の登山がつづく。 この時期には、欲求不満のはけ口としての登山が行われがちだ。
自分が世間に認められていない非重要人物であることへの不服が、青年を山へかりたてる。 若者の登山は、自己の重要感を満たしたいための盲動に終わる場合も案外に多い。
誠実という名の利己主義、反抗の仮面をかぶった屈従、冒険という見せかけの現実逃避、うぬぼれという自信喪失などは青春のスパイスのようなもので、適量ならば人生の味つけにもなるが、多すぎればすべてを台なしにする。 青春の山は、逆説であり、挫折であり、試行錯誤である。
青春期には、面白い登山などやりようもなく、自分本位になるためにはあまりに足腰がふらつきすぎている。 多くの登山家は、この時期で山をやめる。
登山家としては回想の余生をおくる。 あるいは、埋め合わせとして、山登りではなく、クラブだのサロンだのという山の世界にへばりつく。
青春の山をいかに克服するかによって、登山家の値打ちがきまる。 青春のぬかるみから抜け出してゆくとき、自分本位の登山が徐々に始まる。
とはいっても、青春は老醜よりは遥かにましである。 青春には、それ自体を打ちくだく希望があるが、老醜にはそれがない。
せめて青春から老醜へ直行しないように努力することだ。 未熟な時代には。
いかにやるか”(ハウーツー)が大切に思える。 本当は。
なにをやるか”が大事なのである。 いかにやるか”の時代は、追いたてられている時代である。
荷揚げ表に、組織づくりに、登山許可申請に、金集めに、休暇願に追いたてられている。 この悪循環をたち切って。
なにをやるか”に意識をむけなければ、いずれ日常生活までが崩壊して、山をつづけることができなくなる。 なにをやるかがはっきりした登山は、理解できる文章に書き表すことの可能な登山でもある。
自分の意識と行動との間に大きな矛盾がなければ、当然のことであろう。 矛盾があれば、文章もわかるものにならない。
あるいは、書こうにも書きようがない。 たとえ書いても、うそになる。
なんでも書けばよいというものではない。 いい山登りなら、いい文章になりやすいということだ。
つまらない山登りは、いくらひねっても、つまらない文章にしかならない。 山にも登らないで、書いてばかりいるというのは論外である。
読んでばかりいるのは、もっとわるい。 極端ないい方をすれば、書けるように登ればいいのだ。
自分の一挙手一投足を自己表現だと考えて慎重に吟味していれば、登りながら書き、登山の終了の直後に登山記も完了していることだって可能かもしれない。 少なくとも、行動による自己破壊から身を守るための精神力を培う訓練にはなる。
偉大な登山家は、いい文章を書き残しているのが普通だ。 彼らに文才があったからだけではあるまい。
彼らがなにをやるべきかをつまり自分自身を知っていたからわかる文章が書けたのだろう。 つまり”なにを書くか”を知っていたのだ。
は人なり”といった場合の文はドすぐれた文のことで、つまらぬ文は。 人なり”とはいかない。
おなじことが山登りについてもいえる。 〃山は人なり≒有名無名を問わず「、山は人なりの境地にいたった登山家のみがすぐれた登山家なので、つまらない山登りは”人なり”とはいえない。
山登りも、一回ごとに、ひとつの作品を作るつもりでやれば、面白くもあり、長くもつづき、人生の糧になるのではないか。 結局、時間の節約にもなる。
登頂を翌日の予定にひかえた最終キャンプの一夜ほどみじめなものは、そう、あるまい。 高所の夜は、たいてい安眠できないものと相場はきまっている。
頭痛と呼吸の乱れからくる恐怖にさいなまれながら、狭いテントのなかで仲間の体に両側から押されて過ごす一夜が、快適なものであるはずがない。
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昨今は、中高年を中心にした、観光バスを繰り出しての、「おきまりの山へ、おきまりのルートから登り、寿司詰めの小屋へ泊まる」といった手軽で依存型の集団登山が、自然愛好家の眉をひそめさせる時代でもある。 こういう時期には、山を登る楽しみの質を、もう一度H点から考えなおしてみることも必要ではないか。
金権腐敗したいまの日本人が落ち込んでいる精神の荒廃と幼稚化は、自然のなかを歩くことによって、いくらかなりとも癒すことができるはずだが、そのためには条件がいる。 まずは、意志をかためて、一人で山へ向かうことだ。
孤独と寂寥を味わって初めて、そこに山へ登る喜びも生まれる。 よき苦痛からよき快感が生まれるという法則に従って、そうなる。
詩人の萩H朔太郎は、そのすぐれたエッセーのなかに好んでニーチェの短文を引用した。 そのひとつ。
この言葉は、一人で、あるいは許し合った少人数で山へ向かう気持ちのH点であろう。 脚の筋肉を動かしつづけることによって得られる快い気分も、孤独と寂寥があって初めて生まれやすいと私は判断するのだが、いかがなものか。
孤独を楽しむ。 これが快楽登山の精髄であろう。
山はもう少しすなおに登ったほうがよい。 大切なのは。
面白さ”のほうであって、大義名分ではない。 山登りは面白いからやる。
それでいいだろう。 面白いとは、いきいきした感情を得られるということの別名なのだ。
そうでない山登りは、すべてくだらない。 面白い山登りをやるための第一条件は”自分本位”になることだろう。
〃他人本位”の山登りではちっとも面白くないということは、まだ社会通念になっていない。 日本人が、山に限らず一般に物事を楽しむ能力に欠けているのは、他人本位だからである。
封建時代の遺風が残っているお国柄といってよい。 この遺風を打ち破らなければ、面白い登山はできない。
一方、他人本位の人間というのは、自分の考えをもっていない 他人本位の人間は、山登りを楽しむ自己能力にとぼしいから、とかく売名のための登山や山の政治などをやりたがる。 この場合の政治は代償行為のことだから、人民のためになる本当の意味での次元の高い政治ではない。
一種の、無H則人間という意味での政治的人間である。 日本は、いままでは政治家不在の国だった。
登山界は、その最も典型的な例でもある。 自分本位の山登りをやるためには、まず他人本位の人間を自分の周囲から排除しなければならない。
少なくとも、他人本位の人間たちの犠牲にならないよう細心の注意が必要で、これには相当の経験と知識と勇気がいる。 青春の山は、おおむねとるにたりない。
私は二十代の山をいっている。 この時代には自分がよく分からない。
子供の頃の健全な好奇心はこの時代に失われ、混乱がくる。 自己意識が過剰になって、衝動主義に陥るから、客観的な行動ができにくい。
主観的で受け身の登山がつづく。 この時期には、欲求不満のはけ口としての登山が行われがちだ。
自分が世間に認められていない非重要人物であることへの不服が、青年を山へかりたてる。 若者の登山は、自己の重要感を満たしたいための盲動に終わる場合も案外に多い。
誠実という名の利己主義、反抗の仮面をかぶった屈従、冒険という見せかけの現実逃避、うぬぼれという自信喪失などは青春のスパイスのようなもので、適量ならば人生の味つけにもなるが、多すぎればすべてを台なしにする。 青春の山は、逆説であり、挫折であり、試行錯誤である。
青春期には、面白い登山などやりようもなく、自分本位になるためにはあまりに足腰がふらつきすぎている。 多くの登山家は、この時期で山をやめる。
登山家としては回想の余生をおくる。 あるいは、埋め合わせとして、山登りではなく、クラブだのサロンだのという山の世界にへばりつく。
青春の山をいかに克服するかによって、登山家の値打ちがきまる。 青春のぬかるみから抜け出してゆくとき、自分本位の登山が徐々に始まる。
とはいっても、青春は老醜よりは遥かにましである。 青春には、それ自体を打ちくだく希望があるが、老醜にはそれがない。
せめて青春から老醜へ直行しないように努力することだ。 未熟な時代には。
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なにをやるか”に意識をむけなければ、いずれ日常生活までが崩壊して、山をつづけることができなくなる。 なにをやるかがはっきりした登山は、理解できる文章に書き表すことの可能な登山でもある。
自分の意識と行動との間に大きな矛盾がなければ、当然のことであろう。 矛盾があれば、文章もわかるものにならない。
あるいは、書こうにも書きようがない。 たとえ書いても、うそになる。
なんでも書けばよいというものではない。 いい山登りなら、いい文章になりやすいということだ。
つまらない山登りは、いくらひねっても、つまらない文章にしかならない。 山にも登らないで、書いてばかりいるというのは論外である。
読んでばかりいるのは、もっとわるい。 極端ないい方をすれば、書けるように登ればいいのだ。
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偉大な登山家は、いい文章を書き残しているのが普通だ。 彼らに文才があったからだけではあるまい。
彼らがなにをやるべきかをつまり自分自身を知っていたからわかる文章が書けたのだろう。 つまり”なにを書くか”を知っていたのだ。
は人なり”といった場合の文はドすぐれた文のことで、つまらぬ文は。 人なり”とはいかない。
おなじことが山登りについてもいえる。 〃山は人なり≒有名無名を問わず「、山は人なりの境地にいたった登山家のみがすぐれた登山家なので、つまらない山登りは”人なり”とはいえない。
山登りも、一回ごとに、ひとつの作品を作るつもりでやれば、面白くもあり、長くもつづき、人生の糧になるのではないか。 結局、時間の節約にもなる。
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